2006/12/24

態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い

態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い
内田 樹
角川書店
売り上げランキング: 64132

この本は大変面白かった。内容の濃さも面白さも、間違いなく今年読んだ本の中で第1位である。

本書は著者が「注文を受けて書いた原稿」をハードディスクの中から呼び覚ましたもので、言わば短編集になっている。そのため1つ1つの話については非常に短い。短いがその1つ1つがとても面白く、多くの新書のようにさらっと読み流すことができるほど簡単な話ではないにも関わらず一晩で読み上げてしまった。

ここが大変不思議なところで、書いてあることは難しいはずなのだけど読んでいるとその内容がすっと頭の中に入ってくる。文章の方から自分を迎えに来てくれている感じで心地良い。恐らく著者の中では1つ1つの事柄に関する知識が完璧に咀嚼されていて、その知識を使って文章を書くときにその知識を表す単語とその前後の文章、そして文章全体の流れがデコボコやツギハギなく一体感と整合性を持って構成できるのだろう。そう、天衣無縫だ。これからは内田先生の文章を 「天衣無縫の文章」と名付けよう。(勝手に名付けてすみません。)

僕が唯一何が書いてあるのかわからなかったのは第五章の、史上最強の批評装置「タカハシさん」だ。まあ、これは高橋源一郎氏の文章を読んだことがなければ わかりにくいかもしれない。(僕は不勉強ながらまったく読んだことがない。)誰か何が書いてあるのかわかったら教えて欲しい。

内田先生の文章を読んでいると、自然と先生を先生と呼びたくなってくる。もちろん僕は先生とまったく面識がない。もしもこの文章が先生の目に触れたら「誰だおまえ」って感じだろう。だから本来先生でも何でもないはずなんだけど、内田さん、とか内田氏とか呼ぶ気になれない。ましてや「たつるちゃん」と呼ぶなんてもっての他だ(誰も呼んでないって)。先生は実際に神戸女学院大学の教授なのだけど、どうも教授という呼び方はよそよそしくていけない。やっぱり先生の方がしっくりくる。あるいは漱石の「こころ」の主人公が先生を「先生」と呼んでいたのもこんな心境なのかもしれない。あちらは本当に先生であるから羨ましい限りである。

何てことを書いていたらまったく書評ではなくなってしまっているではないか。まあいいのだ。この本を読み始めてすぐに、僕にこの本の書評はできないと観念してしまっているのだから。それでもこの本を偶然このブログを見に来て下さった誰かに紹介せずにはおれないと、こうしてつらつらと書き綴っている次第である。

まことに、態度が悪くてすみません。